R is for Rumor

~Rは流言のR~

嘘を嘘と

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このエントリで、id:matasaburoさんから「メネデモスの肉のエピソードについて勘違いがある、ニーチェを読め」という指摘を受けた。そこでさっそく、ちくま学芸文庫の『ニーチェ全集第1巻』を読むことにした次第である。

歩いて三分の近所の図書館にはニーチェの著書すらなかった。解説本だけだった。端末検索で街一番の図書館の開架を調べ、さっそく向かう。

貸し出しはされていないということだったが、僕が到着する15分の間に、誰かが先を越す可能性はあった。足早になった。しかしである。もしかしたらそれは哲学に深い関心を寄せる女の子かもしれない。もしタイミングがよかったら、同じ本に手が伸びて、

「あ……すみません」

「いえ……こちらこそ……」

「……あの、ニーチェがお好きなんですか?」

「ええ……もしかして……あなたも?」

ということになるかもしれないのではないだろうか!? これは大変だ。早く着きすぎても遅くなりすぎてもロマンスにならないのだ。これはどうしたものかと思った。

「どうしたものかじゃねえだろ」という声が聞こえたような気がするが僕は気にしない。

残念ながらこうやってエントリを書いているのでお察しのことと思うが、どうやら僕は早く着き過ぎたようだった。そうでなかったら今ごろニーチェなんか放っぽりだして観覧車の中にでもいるはずだったのに。ねえ。

「なにが、ねえ、だよ」という声も聞こえたような気がするのだが、それはあまりにも冷たい言葉だと思う。恋のチャンスを失った僕に対して、もっと他にかける言葉はないのだろうか。猛省を促したい。

それはいいか。

ともかく、

ニーチェ全集1 古典ギリシアの精神』フリードリッヒ・ニーチェ 著(1994年5月9日第一刷発行)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480080714/

である。

そもそも同じ本を取り合うというシチュエーションは、本があるていど高い位置にないとさまにならないのだが、困ったことに件の本は最下段だった。じっとしゃがみこんで、可憐な女子高生が隣に来るのをしばらく待ったが、馬鹿みたいに見えたと思う。

それもいいか。

『ラエルティス・ディオゲネスの資料』(言及書139〜258頁に収録。ライン文献学誌第23巻、1868年、632〜653頁および同誌第24巻、1869年、181〜228頁)および『ラエルティス・ディオゲネスの資料研究と批判への寄与』(言及書259〜337頁に収録。バーゼル高等中学校年報―教授F.D.ゲルラッハ博士教職五十周年祝賀論文集、1870年春)(ともに泉治典訳)

前者は古典文献学者としてのニーチェの名を一躍高めた学位論文である。こののち彼はバーゼル大学に教授として招聘され、悲劇的な後半生とは対照的な充実した数年の教職生活を送るのである。

さらに言及書には、大学での講議などを論文としてまとめた『ギリシア人の祭祀』(言及書338〜606頁に収録、上妻精訳)も収録されており、これまた一級の資料である。

ニーチェの友人ローデは、彼のアフォリスムス*1に触れて、「古代人の生に対する深い洞察力」と賛辞を贈ったという*2。彼の関心は「何がギリシア精神をあらゆる文化の指導者としたのか」*3ということにある。

僕自身、スフィンクスがクイズマニアの人喰い怪獣というのは地中海文明の幼稚な妄想にすぎないというエントリを書いたこともあるように、古代ギリシャを源流とする思考様式が、今や地球文明圏全体を覆わんとする現状にひとかたならぬ関心を抱くものであり、ツァラトストラやアンチクリスト程度でニーチェを九割二分五厘理解したつもりになって、この書に手を出さなかった不明をただ恥じ入るばかりである。ブックマークコメントを寄せていただいたid:matasaburoさんには、ここで重ねてお礼を申しあげたい。

ギリシア人の祭祀』には、こうある。

ギリシア人は、祭祀の儀礼と発展には、時間と金銭とを含めて、莫大な労力*4を費やしている。しかし、アテナイの人々のもとでは、一年の六分の一が祭日により成り立ち、さらにまた、タラスの人々のもとででも、それは決して仕事日よりもはるかに祭日の方が多かったにしても、このことはただ単に豊かさや怠惰を示すものにとどまらない。時間の浪費ではなかった。この領域に示される独創的な思考・統合・意味づけ・改造は、ギリシア人のポリス、ギリシア人の芸術、およそギリシア人のもつ魅惑的にして世界に冠たる力のすべての基盤だったのである。ギリシア人がローマやオリエントを自らのもとに服従せしめたのは、文芸においてではなく、祭列・神殿・祭典に示される壮麗なありさまにおいてであり、一般に祝際するヘラス人としてであった。

緒言 第一節 儀礼の根本的形式(347〜348頁)

古代ギリシャ人はその神聖な儀式を誇り、かつまた重視していた。自らを神々の末裔と任ずる人々である。当然のことであった。

ひとは、神の気に入りの山羊、牡牛、豚の犠牲を捧げて、伺いを立てた。

第二章 儀礼の成員
第五節 神託所、および祭祀職と占い術との統合(501頁)

さらに、

デモス〔地区〕、フラトリア〔氏集団〕、ゲノス〔氏族〕が、政治的社会的意味をもつとともに、固有の神殿における儀礼、共同の食事、部族の神すなわちテオス・パイオロスもしくは神人の礼拝を通して、同時に宗教団体としての意味をも担うものであった

物惜しみせず、善事をなすことに、彼らは異常なほどの競争心を燃やした。たとえば、彼らは一日もしくは数日間にわたって全員を饗応したり、アトコスすなわち利子なしで金を貸し与えたり、会堂を建てたり、などした。

第二章 儀礼の正員
第六節 俗人の宗教団体(510頁、512頁)

とある。彼らの行動が見えてくるだろう。

すなわち、メネデモスのエピソードにおいて、宿屋の主人がうっかり投捨ててあった肉を拾ってしまった事情は、つまりこうなのである。

古代ギリシャでは、太陽神アポロンの恵みを肉に与えるため、肉を路上に放置し、直射日光にさらす習慣があった。それは、一部のフラトリアによる迷信が宗教儀式化したものだが、しかし一方で、デモスの慣習は痛みかけた肉を一刻も早く家の外に捨て去ることを命じていた。そのため、捨てられている肉が、恩恵を込められた肉と勘違いされて拾われてしまうことがよくあった。一家の主人は「新鮮な肉」にこだわり、少しでも古くなった肉は客には出せないと判断して捨てるのが誇りであった。しかし召し使いや料理人が、それをアポロンの恵み篤き肉と勘違いして回収し、それがけっきょく客に供せられることも日常茶飯事であった。メネデモスが宿屋で気分を悪くしたのは、ひとたび所有者からうち捨てられたことによって神の恩寵を失った「穢れた」肉を口にしたことからくる世俗宗教的禁忌に基づくものであるが、それは必ずしも別の地区出身者には理解されないものであり、アスクレピアデスには批判されたのであった。

古代ギリシヤの精神―二一チエ全集(1)*5

このように、メネデモスが気分を悪くした一件について詳しく知ると、まったくあまりのことに驚かされる。半可通の知識でものを書くからこういうことになる。鮫だけに深い深い海の底に潜りたい気分だ。

ニーチェの古典文献学者としての功業を教えてくださったid:matasaburoさんのブックマークコメントに改めて感謝申しあげたい。

それにしても、古代ギリシャというのはずいぶん変な時代だなあ、とはつねづね思っていたが、想像以上であった。ニーチェ古代ギリシャの習慣と迷信についてツッコミもいれず淡々と解説している。これをもって十九世紀のドイツが古代ギリシャに近かったゆえ、疑問に思うことがなかった、などと考えるのは早計である。やはりニーチェの忍耐の賜物だと思うべきだろう。おそらく相当なストレスだったのではないかと心配になるのだが、すでに死んで百年以上になるし今はもう大丈夫だろうと信じたい。

最後にもう一度、貴重な読書体験の機会を与えてくださったid:matasaburoさんとそのブックマークコメントには本当に感謝してもしきれない。しつこいようだが御礼申し上げる次第である。


※このエントリを最後まで読んでくださった方へのお願い。
必ずhttp://h.hatena.ne.jp/islecape/9258648592219721905を読んでください!

cf.
豚の悲劇 - The cape of an island
http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090920/r4

*1:アフォリスムスといっても、アホなリスがムスッとしているということではない。金言的、警句的、格言的なさまのことである。

*2:訳者による解説、642頁

*3:訳者による解説、642〜643頁

*4:文中傍点

*5:フリーリドッヒ・二一チエ著、戸塚七朗、泉始典、上妻清共訳、ちくま学術文庫、514〜515頁